牛ヶ瀬のマップ

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四国宇和島藩の飛び地領としてあった犬飼村近辺は、当野の酒井三介秀澄が代官を命じられていました。当時は大沢から舟瀬にかけては大変な湿地で米作が困難でしたが、天正16年(1588)に宇和島藩主(戸田氏)より開拓と増収が命ぜられました。
犬飼の地に水路を堀り、堤防を築き、堤防の管理に以前から三介が召し抱えていた馬医の溝口太夫とその息子の兵衛と左衛門兄弟に管理を命じました。そして牛ヶ瀬村として形成されていきました。犬飼村など数村は、江戸時代になっても谷中分水界になっているために水はけが悪く、耕作には大変な労苦が続きました。

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浄福寺

元は南矢代の東側にある山崎付近の「向山」という所の谷にありましたが、文禄4年(1595)4月8日に、戸田明部の家臣が武士を辞めてこの地に浄福寺を勧請し「道場」を起こしました。宝暦5年(1755)4月4日に木仏が許可され、阿弥陀如来像をまつり、浄土真宗龍泉山浄福寺となりました。
現在の本堂の建築にあたって、柱の礎石の一部に、向山にあった頃の墓石の台石が使われています。

大歳神社

この神社は昭和35年(1960)10月17日に犬飼の大歳神社から分祀されたものです。
大歳神・御年神・若年神・崇徳天皇・金山日古命・猿田日古命がまつられています。

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大将軍

牛ヶ瀬と犬飼の字境に土を盛った小さな古墳のようなものがあり、祠がまつられています。今は「祇園さん」としてまつられていますが、往古はこのあたりが集落の北の端にあたり、「大将軍」がまつられていました。地番は犬飼で、「祇園さん」のおまつりは犬飼の人たちがされています。
宝暦8年(1758)の『寺社改帖』には、古森の大将軍と油井の大将軍が記載されています。