草野のマップ

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草野は古市地区の南に位置し、摂州(現:三田市)との国境の村でした。草野村・古森村は、古くは「油井村」と総称されていましたが、やがて独立した形でそれぞれの集落を形成していきました。今も地番に「油井」と呼ばれる所があります。
草野は、南は日出坂を境に摂州、西は山を境に今田村立杭に接する篠山藩の国境の村でした。旅人が行き交い、商品が行き交い、峠越えの人びとの休憩の場でもありましたから、「草野町」とも呼ばれていました。
草野側から国境への道はJR複線工事の際に途絶えていますが、藍本側から福知山線の西側に沿って残る旧道は昔の面影を残しています。元の国境付近は堀割になって舞鶴若狭自動車道が通っています。

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稲荷神社

草野には2つの稲荷神社があります。この稲荷神社は草野集落の中央を流れる武庫川の東の山麓にまつられています。創立年月は不詳です。国道から長い石段を登っていくと拝殿や本殿があります。

金比羅宮

 

稲荷神社の境内には「金比羅宮」がまつられています。元はもう少し東にあったのですが、舞鶴自動車道の建設により以前の場所から遷されました。金比羅宮や稲荷神社の境内の東に沿って舞鶴自動車道が通っています。

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しもの稲荷神社

草野の村が形成されて行く過程で稲荷神社が2つ作られるようになりました。左の写真は「下の稲荷神社」と地元で呼ばれている神社です。山麓にある「稲荷神社」の西側200メートルほどの所で、国道176号線を西に入った耕地の中を通る道の傍にまつられています。

八王子神社

草野の中を流れる八王子川に沿って山道を登って行くと「八王子神社」がまつられています。この付近の山は「八王子山」といわれます。

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八王子池

八王子の谷の奥には、篠山藩が公費で構築した「御普請池」と呼ばれる『八王子池』があります。池の水面はハート型になっており、ハートのくぼみに当たる所に水神さんがまつられています。
この辺りでの出来事でしょうか?『猟師の弥与門さん』という民話があります。

六十六部廻国塔

 草野集落の北側の昔の街道筋に「六十六部廻国塔」が残されています。江戸時代の日本は、全国が66の国に分けられていました。
その全ての国を廻り、お経を奉納して廻る宗教儀礼がありました。
ちなみに篠山市は「丹波の国」の一部になります。

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摂津 と 丹波の国境

現在は三田市と篠山市の境ですが、かつてここは三田藩と篠山藩の国境でした。
ここに主要道路が通っており、国境の標柱石が立ち、茶店などもあったと伝わっています。
今は舞鶴自動車道が通り、昔の面影はなくなりました。

摂丹国境から見た油井村

 遠くに白髪岳と松尾山が見え、丹波を訪れた昔の旅人が初めて見たのと同じ景色です。

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国境の標柱

日出坂峠に建てられていた江戸時代の国境の標柱で、「従是北篠山領」と刻まれています。廃藩直後に草野の庄屋さんの裏庭に持ち帰られて大切に保管されていました。
篠山藩は譜代であったことから石で標柱が作られ、三田藩は外様であったので木柱だったという記録が残っています。
同じ時代に作られたと思われる同じ字体の亀山(亀岡)藩と篠山藩境に建てられていた国境の碑が福住にも保存されています。福住の標柱は「従是西篠山領」と刻まれています。

国境の碑と封人の松

 三田藩の日出坂村は篠山藩と境を接する村でした。江戸時代に草野がまだ油井村と呼ばれていた頃に、国境を接する山の権利で日出坂村と油井村との間に争いが起こり、永い期間にわたって京都所司代での裁定が続きました。
国境の碑は日出坂村の人たちによって再建されたものです。

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封人の松

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国境の碑

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三ツ子山の碑

八王子の谷へ入る道端に「三ツ子山」の碑が建てられています。草野に生まれた三つ子の兄弟が長じて力士になり、大変な人気を博しました。草野の三ツ子山は長男、今田の立杭には次男の三ツ子山の碑が建てられており、三男も播州三草で名を挙げたと伝えられています。
この碑は安政6年(1859)巳未5月に門人たちによって建てられました。
三ツ子山の俗名は赤井弥乎治と刻まれています。