波賀野新田は江戸時代に出来た町で、古市と接して商業が栄えた所です。篠山藩の藩蔵があって、年貢米が保管されていました。明治33年(1900)には古市小学校が今の場所に移転され、古市中学校や兵庫県立篠山農業高等学校古市分校もあった文教地区でした。
秋葉神社のご神体は『火之神迦具土神(ひのかみかぐどのかみ)』で、元は現在の古市小学校の北側に接する山の谷の奥に祀られていましたが、明治12年(1879)頃に現在地へ遷宮されたと伝わっています。
この場所は、かつて篠山藩の「藩蔵」という年貢米を保管する大きな蔵が数棟建っていました。
神社に合祀されている小社は、明治末期から大正にかけて「小社合祀」の奨励があって合祀されたものです。
秋葉神社の正面の道が少し膨らんでいるところが、藩蔵へ年貢米を運んで来た荷車の待機所だった所です。
何気なく見過ごしていますが、こんな所にも歴史の名残が残されているのです。
秋葉神社の道を挟んで北側に『火伏せ地蔵』がまつられています。秋葉さんが「火の神」であるので、それにちなんで呼ばれるようになったのかも知れません。
8月24日の地蔵盆には道端へ移してまつられます。
お地蔵様のまつられているこんもりした小山は「丸山」と呼ばれ、秋には美しい紅葉を見ることが出来ますが、太平洋戦争のまっただ中の時には、この山に防空監視所が置かれ、昼夜交替で監視員が配備に付き、『空襲警報発令!』と半鐘を鳴らし、自転車で触れ回ったとのことです。
波賀野新田でひときわ大きいのは「天理教会」の建物です。天理教は、江戸時代末に成立した宗教で、中山みきを教祖とし、主神は天理王命が主神で奈良県天理市に本拠地が置かれています。建物は現在再建中です。
明治33年(1900)に新築移転して来た古市小学校は、その後何度も改築が重ねられていきました。
多紀郡(現篠山市)内では数少ない高等科3年を併設した小学校でした。
上の写真は大正15年(1926)頃と思われます。天皇陛下の写真と教育勅語を保管した「奉安庫」もこの年に建てられました。
右上は昭和15年(1940)頃と思われます。右端(北)に建っているのは新築2階建ての校舎ですが、昭和20年(1945)の冬の夜に全焼してしまいました。
右の写真は耐震工事も完了した現在の校舎です。
制定された定かな理由は今ではわかりませんが、 「三種の神器」が校章です。日本中に、ほかには見当たりません。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) は「慈愛」、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は「善」、八咫鏡(やたのかがみ) は「真理」を表したものだと言われています。