矢代新のマップ

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『多紀郡村改帳』に、「承応3年(1654)午ノ年 矢代村出在家親村ヨリ末ノ方ニ当リ道程6丁47間ニ在之」とあり、『多紀郡明細記』に「矢代新村源兵衛曰く、承応元年(1652)波賀野村・栗栖野村・矢代口村ノ百姓地ヲ争テ訴フ 因テ争田ヲ与ヘ新田村ヲ置カル 又一説に 正保二酉年(1645)ニ矢代新田村立ツチモアリ」とあります。
波賀野・栗栖野・矢代の百姓の間で、田地に関する争いが起こり、争いを解決するために、争いの元となった田地を矢代村から分割し、新しい村を起こすことになったというのです。江戸時代末の嘉永6年(1853)に記録された『多紀郡明細記』には、家数8、人数32と出て来ます。

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大歳神社

矢代新集落の西にある谷筋を登っていくと、谷の一番奥に「大歳神社」が祀られています。創立年代は不詳ですが、元禄8年(1695)と、天保3年(1832)に社殿が造営されています。

砂防堰堤

 昭和58年(1983)9月28日に襲った台風10号が、各地に大きな被害を残していきました。中でも矢代集落の西の山からの鉄砲水は土石流となって集落を襲い、家の床下を通り超え、国道も大量の土砂で埋め尽くされました。
災害対策事業の陳情をかさね、平成15年(2003)に、矢代新の谷に大きな砂防堰堤が完成しました。
大歳神社は、この堰堤を通り越えた所におまつりされています。

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